介護の仕事の良いところ(その1)
今日は、自身の経験を通して思う介護の仕事の良い所について綴ってみたいと思います。
介護の仕事について語る前に、私の経歴から紹介したいと思います。
私の経歴は、私が介護の仕事に対して考えることに影響しています。
だからまず、私の経歴を紹介する必要があります。興味の無い方は飛ばして読んでください。
こちらの記事内でも少し私の経歴を紹介しています。
まずは私の経歴から
私の最終学歴は高卒です。工業高校の工業デザイン科を卒業しました。
1986年(昭和61年)に高校を卒業し、グラフィックデザイナーとして地元の広告デザイン会社に勤め始めました。
これで私の歳がバレてしまいますね。
ここからはかなり端折りますけれど、転職を繰り返し1997年(平成9年)に自身の会社を設立し独立しました。業種は広告写真、平たく言うとカメラマンです。
2011年(平成23年)に同社を廃業し介護の業界へ入職しました。
とまあ簡単な経歴はこんな感じです。
長く広告業界へ身を置きました。
広告業界は、時代の影響をモロに受ける業界です。
大きな変化はデジタル化
私が広告業界で仕事をした1986年~2011年の間には、2度の大きな震災をはじめ大きな出来事や変化がありました。
一番大きな変化といえばデジタル化でしょう。
私がデザインの仕事を始めた当初は、デザインは手描きやコピーを切ったり貼ったりなど、アナログ的な手法で行われていました。
当時は、「写真植字」や「版下」といった仕事が存在していましたが、今ではPCに置き換えられていますね。
当時「写植オペレーター」なんて仕事が存在していましたが、今は無い仕事です。
カメラマンを始めた当初はフィルムカメラでした。
写真撮影には技術や機材を必要とする時代でした。
今はカメラはデジタルカメラ、なんならスマホで良い写真が撮れたり、スマホで映画まで作れてしまう時代ですね。
フィルムカメラの時代にはフィルム現像所が近くにありましたが、今はありません。
何せデジタルカメラを最初に開発したメーカー「コダック」がつぶれてしまいましたから。
コダックは写真フィルムメーカーです。そのコダックが自らの開発したデジタルカメラの普及によりつぶれてしまったのです。
これは余談ですけれど、そうして考えると富士フィルムはすごいですね。
デジタルカメラのみならず、化粧品や医療分野など様々な分野に事業を広げています。
そうした時代の変化に合わせて業態を変化させ、事業を継続して行くというのはとても大変なことです。
今も広告業界の仕事を続けていたとしたら、今また、コロナウィルスにより大きな打撃を受けている所でしょう。
安定を求めて介護職へ 震災の影響
介護の仕事をやってみようと思ったのは、安定を求めてのことです。
自身の会社を廃業しようと考えていた頃、東日本大震災が発生しました。
テレビで流れる、津波に流される家々、街の映像を見ながら、「この街の人々の境遇と比べたら自分は恵まれている、何でもできる」と思ったものです。
借金はありませんでしたけれど「このまま一生事業を続けていくことは困難であろう」と考え、震災を機に事業をたたみ介護職を目指すことを決意しました。
介護の仕事は低賃金で重労働だというのが世の中の通説です。
そのように考えていた私の心を、震災が動かしてくれたのです。
と、ここまでつまらない私の経験にお付き合いいただきました。
社会保障の崩壊は国の崩壊を意味する
要するに何が言いたいかというと、「介護の仕事は景気や世の中の変化に影響を受けることが少ない仕事」だということです。
言うまでもなく介護保険制度は、この国の社会保障のひとつです。
社会保障というものは、安定的・恒久的なものでなければなりません。
社会保障制度が崩壊するということは、この国自体が崩壊するということを意味します。
つまり、この国が崩壊しないかぎり社会保障に関係する仕事はあり続けるし、介護保険事業もあり続けるのです。
介護の仕事は、低賃金で重労働というのが通説ではありますが安定的・恒久的な仕事なのです。
繰り返しますが、つまらない私の経験にお付き合いいただきありがとうございます。
今日のところはこのくらいにしておきます。
この話は続けて書いていきたいので、その1としました。よろしかったら引き続きお付き合いください。
続きはこちらの記事をお読みください。