人は介護を望んではいない 介護サービスとは?
前回の記事では、サービスを「量的」に増やすことは困難でも、サービスを「質的」に高めることはできるのでは?ということを書きました。
本日はその続きです。
私たちは、介護を学ぶ時かならず「QOL」ということを学びます。
QOLとは説明するまでもなく、「quality of life」の頭文字をとったものです。
QOLの意味はご存知の上で話を進めて行きますので、もしも知らない方がいらしたら、その手に握りしめているスマホでぐぐってください。
(例)ラーメン屋さんでの「体験」
さて、私の趣味にひとつにラーメンを食べ歩くことがあります。
ここでは、私の趣味のラーメンを例えに話を進めて行くこととします。
まずはじめに、私が実際に食べたラーメンの写真を二つ見てもらいましょう。
写真①
写真②
ラーメンで最も大切なのは「味」ですが、ここでは味のことはいったん置いて話を進めていくこととします。
この二つのラーメンは、まったく違うラーメン屋さんのラーメンです。
偶然にも、器や具材の内容がほとんど同じです。
ラーメンの種類も、どちらも醤油ラーメンです。
この二つのラーメンの写真で、最も大きな違いはなんでしょうか?
説明の必要はありませんね。「盛り付け」です。
特に注目してもらいたいのは、①の写真のネギです。
明かに「盛り付けた」というより、「放り込んだ」という表現が適切だと言えます。
私は、①のラーメン屋さんでこのラーメンが出てきた瞬間に、とてもイヤな気持ちになったのです。
ラーメンを作った人がネギを放り込んで汚くなっていたとしても、配膳する人はそれに気づかないのか?気づいてもキレイに整えないのか?
私はラーメンが欲しいわけではない
私は、ラーメンが欲しい(食べたい)わけではありません。
ラーメンを食べて「幸せな気分」になりたいのです。
同じラーメンを食べるにしても、①と②のラーメンではどちらが幸せな気分になれるでしょうか?
好みはあるかもしれませんけれど、私は②のラーメンの方が幸せな気分になれました。
私は、ラーメンという「モノ」が欲しいのではなくて、ラーメンを食べることによって得られる「体験」が欲しいのです。
ラーメンを食べて「あぁ、おいしかった」「幸せだなぁ」という気分になることができる体験が欲しいのです。
介護はどんな「体験」を提供するのか?
では、介護施設で暮らしている人々は、どんな「体験」が欲しいのでしょうか?
そもそも「介護」を自ら受けたいと考えている人が居るでしょうか?
ゼロではないでしょうが、ほとんどの方は自ら望んで介護を受けたいとは思っていないはずです。むしろ、できることなら介護なんて受けたくはないはずです。
そう、人はそもそも介護なんて受けたくはないのです。
では人はなぜ介護を受けるのでしょうか?
例えば高齢者の場合は、高齢となり身体が不自由になり今までの暮らしが困難となった時に、介護を受けることによってできる限りあたりまえの暮らしを実現したいのではないでしょうか?
介護は「モノ」ではなく「体験」
介護が必要となった高齢者が望むのは、「介護」という「サービス(モノ)」ではなく、それを受けることよって得られる「体験」「あたりまえの暮らし」なのではないでしょうか。
高齢者は、「排泄介助」を受けたいわけではありません。あたりまえに用を足したいだけなのです。
「用を足す」とは、トイレに行きたいということではありません。満足な状態になることを「足す」というのです。
高齢者は、「食事介助」を受けたいわけではありません。食事を食べて幸せな気分になりたい、満足な状態になりたいのです。
高齢者は、「入浴介助」を受けたいわけではありません。お風呂に入ってさっぱり気持ちよくなりたい、満足な状態になりたいのです。
以前の記事で「福祉」とは「幸福の追求」であるということを書きました。
私たちは、量的に「サービス(モノ)」を提供するのではなく、質的な「体験」を提供すると考えるのです。
それを追求しなければ、利用者の福祉(幸福)は永遠に実現することはないでしょう。
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〈参考文献〉
『マンガでわかる! 安売りするな!!「価値」を売れ!』藤村正宏著