はじめちゃんの介護

主に高齢者介護の話しや各種試験対策など

サイゼリヤ ミックスグリルに学ぶ 幸せ 体験 食べることは生きること

サイゼリヤのミックスグリルに学ぶ幸せな体験

 昨日「ミッドウェイ」という映画を観に行きました。
 が、今日は映画の話しではありません。その後にお昼ご飯を食べに行った時の体験を書いてみたいと思います。

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 昨日の体験で気付いた、人は「ご飯」という物質的なモノが欲しいのではない、ご飯を食べて幸せな気分になりたいのだ、ということを書いてみたいと思います。

ラーメン屋さんでの寂しい体験

 私の趣味のひとつに、ラーメン屋さんの開拓があります。
 昨日も映画を観た後はラーメンを食べようと、シネコンの1階にあるラーメン屋さんに入りました。

 コロナの影響でしょう、そのラーメン屋さんにはお客さんが一人も入っていませんでした。

 私はその店に入ってすぐ異変に気が付きました。
 「いらっしゃいませ」のあいさつが無いのです。

存在に気付かれないことの寂しさ

 あいさつが無いどころか、私の存在にすら気が付いていないのです。

 時間としたら10秒くらいでしょう。私は店の入り口に立ちつくしました。
 たった10秒かも知れません。だけどその10秒間は私にとってとても長く感じられました。

 私はその10秒ほどの時間に耐えられなくなり店を出ました。

 本来なら、お店はお客様を歓迎すべきはずです。
 なのに私の存在にすら気が付いてくれなかったのです。

 存在に気付かれないほど寂しいことはありません。
 私はだまって店を出ました。

サイゼリヤでの残念な体験

 ラーメンを食べることをやめた私は、次に同じフロアーにある「サイゼリヤ」に入りました。

 以前は家の近くにサイゼリヤがありよく行っていたのですが、その店舗が無くなり、昨日は久しぶりのサイゼリヤとなりました。

 私には、サイゼリヤに行った時に必ず注文するメニューがあります。
 それは「ミックスグリル」です。

 昨日も、ミックスグリルを食べる気満々で店に入りました。

 ところが、席についてメニューブックの中をいくら探してもミックスグリルが無かったのです。

消えた「ミックスグリル」

 そうです、ミックスグリルがメニューから消えていたのです。

 たぶんですけれど、ミックスグリルはサイゼリヤのメニューの中でも人気メニューで代表的なメニューだったはずです。
 そのミックスグリルが無くなっていたのです。

 ミックスグリルを食べる気満々でいた私はガッカリしました。
 だけど、さっきのラーメン屋さんのように店を出るわけにはいきません。
 もう席について腰を落ち着けてメニューブックを開いています。

 やむを得ず、ミックスグリルと似たような物をメニューから選ぶことにしました。
 チョイスしたメニューは、「チキン&ハンバーグのディアボラ風」という舌をかみそうなメニューです。ミックスグリルとは似ても似つかないネーミングです。

 やむを得ず「チキン&ハンバーグのディアボラ風」を注文し、いよいよテーブルに運ばれてきました。
 それを食べた感想は、素直においしいです。十分に満足できました。
 それを食べて十分に幸せな気分になることができました。

「ディアボラ風」というネーミング

 でも私の中には、ミックスグリルが無くなってしまったという残念な気持ちが残っています。

 そこで私が思ったのは、「チキン&ハンバーグのディアボラ風」というネーミングについてです。
 「ディアボラ風」なんてことを言われて何のことかイメージできる人がこの世に何人いるでしょうか?どんな味か想像できる人がこの世に何人いるでしょうか?

 私は思ったのです。
 「チキンとハンバーグのミックスグリル」というネーミングではダメだったのかと。

 「チキンとハンバーグのミックスグリル」というネーミングなら、ミックスグリルが改良されてバージョンアップしたのか、というふうに思えたかもしれません。
 そういう期待を持って食べられたかもしれません。

人は物質的な食が欲しいのではない

 人は生きるために食べます。
 がしかし、ただ生きるために食べているわけではありません。ただ生きるためならば、栄養飲料やサプリを飲み続けるだけも生き続けることはできます。

 人は幸せに生きたいのです。
 だから食べることで幸せになりたいのです。

 飲食店は、「物質的」な食べ物を提供しているわけではないと思います。
 あいさつや、サービスや、空間なども含めた、食べることを通した幸せを提供しているのだと思います。

 食べることは毎日行われます。毎日、普通は3回くらい行われます。
 だから食べることからの気付きは多いです。

 それをおろそかにするのと、それを大切にするのとでは、大きく生活の質が変わってきます。

私たちの介護サービスにも当てはまる

 これは、すべてのサービスに当てはまります。
 私たちが提供している「介護サービス」にも当てはまることです。

 私たち介護サービス事業者は、排泄介助・入浴介助・食事介助といったモノ(サービス)を提供するのではないのです。
 それを受けることによって得られる体験、幸せな体験を提供していると考えるのです。

 最後にもうひとつ。
 「サイゼリア」じゃなくて「サイゼリヤ」だからね。