はじめちゃんの介護

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地域包括ケアシステムは幻想にすぎない

地域包括ケアシステムは幻想にすぎない

 「地域包括ケアシステムは幻想にすぎない」という刺激的なタイトルを付けました。これは、我が県のケアマネ協会会長が研修の中で言った言葉です。
 その言葉に強いインパクトを感じたのでよく覚えています。

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ケアマネ協会会長の言葉

 もちろん会長は、本当に地域包括ケアシステムが幻想であるとは思っていないはずです。
 会長は「〇〇が無ければ地域包括ケアシステムは幻想にすぎない」という言い方をなさったと思います。
 よく覚えていますと言って舌の根も乾かぬうちですが、「〇〇が」の部分をよく覚えていません。申し訳ありません。

 とにかく会長が「地域包括ケアシステムは幻想にすぎない」ということを口にされたことが、強く印象に残っています。
 なぜなら、私も地域包括ケアシステムは幻想にすぎないと思っているからです。会長!よくぞ言ってくれた!と思ったので、その言葉が強く印象に残っているわけです。

 前置きはこのくらいにして、なぜ地域包括ケアシステムは幻想にすぎないのか?地域包括ケアシステム実現のために何が必要なのか?などについて綴っていきたいと思います。
 暴言・暴論が多く含まれるかもしれませんが、よろしかったらお付き合いいただければと存じます。

そもそも地域包括ケアシステムとは?

 話を進める前に、地域包括ケアシステムとは何なのか?を知らなければ話が始まりません。
 地域包括ケアシステムのことをご存知でない方は、どうぞその手に握りしめているスマホでぐぐってみてください。

 簡単に言うと

 『地域包括ケアシステムとは、要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい生活を最後まで続けることができるように地域内で助け合う体制のこと』
 『地域包括ケアシステムは、それぞれの地域の実情に合った医療・介護・予防・住まい・生活支援が一体的に提供される体制を目指している』と謳われています。

国の責任の地方への丸投げ

 ここで私の最初の暴論・暴言を発表いたします。
 私が思う地域包括ケアシステムとはずばり、「国の責任の地方への丸投げ」です。

 超高齢化により膨らみ続けるこの国の介護保険給付を、地方に丸投げするためのシステムと思っています。
 それを「要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい生活を最後まで続けることができるように地域内で助け合う体制」などときれいごとを言って、地方に丸投げしているように感じています。

住みなれた地域で最後まで暮らしたい

 とはいえ、「住み慣れた地域で自分らしい生活を最後まで続けたい」ということは誰しも願うことでしょう。
 高齢の家族をお持ちの方も、自分の親を施設に預けようと考える時には心が痛むと思います。できることなら最後まで家で暮らさせてあげたいと願うはずです。

 施設が悪いというわけではありません。施設に預ける場合でも、できるだけ身近な施設で、そこを最後の家として、最期まで暮らすことができるようにしてあげたいと願うはずです。(「最後」「最期」どっちの単語を使えば良いか悩む所ですが適当に使い分けています)

実現のために何が必要か?

 では、「住み慣れた地域で自分らしい生活を最後まで続けたい」という願いを実現するために何がいちばん不足しているのでしょうか?

訪問介護ですか?
訪問看護ですか?
デイサービスですか?
グループホームですが?
小規模多機能型居宅介護ですか?
サービス付き高齢者向け住宅ですか?
介護付き有料老人ホームですか?
特別養護老人ホームですか?

 サービスの名前をあげていくときりがないですね。

必要なのは最期まで診られる診療所

 私が思う「住み慣れた地域で自分らしい生活を最後まで続けたい」という願いを実現するために不足しているモノは、地域の診療所です。

 診療所の数が不足しているのではありません。その人のことを最期まで診てくれる地域の診療所(医師)が不足しているのです。
 介護と連携して、その人のことを最期まで診てくれる地域の診療所(医師)が不足しているのです。
 診療所は多くあっても、そうした診療所が存在していないという地域もあるでしょう。

 人は必ず亡くなります。死なない人はいません。高齢者が最後まで地域で暮らすためには、最期まで診てくれる医師の存在は不可欠です。

医療側の意識は?

 介護の業界では、「地域包括ケアシステム」を声高らかに叫ばれていますが、医療側の意識はどうなのでしょうか?

 地域包括ケアシステムの概念では『地域包括ケアシステムは、それぞれの地域の実情に合った医療・介護・予防・住まい・生活支援が一体的に提供される体制を目指している』ということが謳われています。
 医療の側は、地域包括ケアシステムに参加する一部であるという意識を強く持っているのでしょうか?

 繰り返しになりますが、人は必ず亡くなります。高齢者が地域で最期まで暮らすということを実現するならば、地域でその人のことを最期まで診てくれる診療所(医師)の存在は不可欠なのです。
 そこのところを実現しないかぎり、地域包括ケアシステムは幻想にすぎないと思うのです。

ケアマネ研修に思うこと

 私は先日、介護支援専門員更新研修課程Ⅱを受講し修了しました。
 その研修の中で、「医療との連携」の講義・演習がありました。
 ところがそこに参加しているのは、我々介護支援専門員だけなのです。介護支援専門員の研修だからあたりまえといえばあたりまえかもしれませんが、介護支援専門員だけで医療との連携について議論することに何の意味があるのでしょうか?

 まったく意味が無いとは言いません。だけどそこに医療側の人々が参加してそれぞれの意見を交わさなければ、連携を実現することはできないのではないでしょうか。

看取り介護は看取り介護加算の手続き

 介護の世界には「看取り介護」という言葉があります。
 これも私の暴論・暴言ですが、「看取り介護」という言葉は、介護報酬上の「看取り介護加算」のためにある言葉だと考えています。

 看取り介護は何のために行うのですか?看取り介護加算を算定するために行うのですか?

 そもそも看取り介護ってなんですか?
 医師が医学的に見て回復の見込みがないと判断して、ケアマネが看取り介護計画を作成して、家族に同意をもらったら看取り介護ですか?
 それは単に、看取り介護加算を算定するための手続きですよね。

 私たちは看取り介護加算を算定するために、医師と連携し介護を提供するのですか?
 そうじゃないですよね。住み慣れた地域で自分らしい生活を最後(最期)まで続けてもらえるようにするために医師と連携するのですよね。

介護の延長線上には必ず死がある

 再度繰り返しになりますが、人は必ず亡くなります。
 私たちが行う介護の延長線上には必ず死があるのです。

 本当に、住み慣れた地域で自分らしい生活を最後まで続けることができるようなシステムを作ろうという思いが無ければ、地域包括ケアシステムは幻想にすぎないのです。

 国の責任の地方への丸投げにすぎないのです。

 暴論・暴言失礼いたしました。