はじめちゃんの介護

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「寄り添う」とは? ボクシングタイトルマッチ 井岡一翔 VS 福永亮次 に学ぶ

寄り添うとは? ボクシングタイトルマッチに学ぶ

 あけましておめでとうございます。本年も本ブログをどうよろしくお願いいたします。

 新年一発目は、タイトルの通り大みそかにボクシングのタイトルマッチを観て思った「寄り添い」についてしたためてみようと思います。

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寄り添うとは?どういう意味か?

 わたしたち介護職は、「利用者に寄り添う」「寄り添った介護」などといった言葉をよく使います。
 わたしたちは「寄り添う」という言葉を使いますが、「寄り添う」とはどういう意味なのでしょうか?どういう状態を「寄り添っている」と言うのでしょうか?

 Weblio辞書によりますと、「もたれかかるように、そばへ寄る」とあります。
 わたしたち介護職が用いる「寄り添う」の意味は、「もたれかかるように、そばへ寄る」ではないですね。
 利用者のそばへ寄ることを「寄り添う」とは表現していないはずです。

 わたしたち介護職は、「利用者の思いを傾聴する」「利用者の意思を尊重する」「利用者のことを理解する」といった意味として「寄り添う」を使っていないでしょうか。

ボクシング素人がタイトルマッチに思う

 さて、ここからは、大みそかに観たボクシングのタイトルマッチの話しです。
 最初に申し上げておりますが、私はボクシングには詳しくありません。一素人としてボクシングを観ています。

 大みそかに行われたのは、WBOスーパーフライ級タイトルマッチ、チャンピオンの「井岡一翔」選手対、挑戦者で35歳初世界戦の「福永亮次」選手の試合でした。
 結果から言うと、12回フルラウンドを戦い、チャンピオンが3-0の判定で挑戦者を下し防衛に成功しました。

 私は、35歳初世界戦の福永選手を応援する気持ちでテレビを観ていました。
 挑戦者は序盤から積極的にパンチを出していくスタイル。ところがチャンピオンになかなかパンチはヒットしません。
 チャンピオンはしっかりとガードを固めて、挑戦者のガードが空いた瞬間にパンチを繰り出し、的確にクリーンヒットを重ねていくスタイルでした。

 私のような素人からしたら、こういう試合展開はとてもイライラします。
 ボクシングを観戦する素人としては、KOシーンを観たいものです。

 挑戦者に対しては、「これが最初で最後の世界戦かもしれないのだから、死ぬ気で手を出せや!」なんて勝手なことを思ってしまいます。
 「勝手なことを思ってしまいます」と言いましたが、まさに私が思う勝手なことなのです。

挑戦者の気持ちに寄り添って考える

 では、挑戦者の気持ちに「寄り添って」考えてみましょう。

 35歳で世界戦初挑戦「これが最初で最後の世界戦かもしれない、いや勝たなければ最後の世界戦になるに違いない、だから死ぬ気で手を出せ」というのは、挑戦者の思いに寄り添った考えかも知れません。
 でも挑戦者だってそんなことは百も承知ですよね。いちいち他人にそんなこと言われなくても、最初からその覚悟で試合に臨んでいるはずです。だから序盤から積極的に手を出しているのだと思います。

 最終12ラウンド、判定では圧倒的に負けているはず。チャンピオンをノックアウトしなければ勝てない。そのためには手を出さなければならない。
 観ている私は、「もっと手を出せ!最終ラウンドだぞ!」と勝手なことを思いながら観ている。

 挑戦者だって手を出したいに決まっている。でも出したくても出ない。その気持ちは、12ラウンド戦い抜いてきた35歳の挑戦者にしかわからないのです。
 ボクシング素人の私になんか、挑戦者の気持ちはわかるはずなどないのです。
 挑戦者の気持ちに「寄り添う」ことなどできるはずはないのです。

チャンピオンの気持ちに寄り添って考える

 反対にチャンピオンの立場を考えてみましょう。

 チャンピオンは何度もクリーンヒットを当てて、挑戦者をノックアウトできる場面はあったと思います。
 でもチャンピオンは倒しに行きませんでした。

 もう一度言います。ボクシングを観戦する素人としては、KOシーンを観たいものです。
 チャンピオンに対しては、「なんで倒せるのに倒しに行かないんだ!」というイライラした気持ちで観ていました。

 では、チャンピオンの気持ちに寄り添って考えてみましょう。

 チャンピオンは、この試合だけでなくまだまだこれからタイトルを防衛していかなければなりません。
 打ち合いをして挑戦者からラッキーパンチをもらったり、けがをしてしまうよりは、確実にガードして有効打を重ねていくことが最適と判断したのかもしれません。

 また、チャンピオンには多くのスポンサーがついていますから、確実に勝ちを狙うことも必要ですし、TVの放送枠ということも考えると、序盤でノックアウトしてしまうよりは、12回フルラウンド戦った方が良い、という真のプロ意識が働いていたのかもしれません。

 チャンピオンだっていろいろな思いがあるのです。
 ボクシング素人の私になんか、何度も防衛を重ねているチャンピオンの気持ちはわかるはずなどないのです。
 チャンピオンの気持ちに「寄り添う」ことなどできるはずはないのです。

解説者はさすがプロ

 そのあたりは、解説の内藤大助(元WBC世界フライ級王者)内山高志(元WBA世界S.フェザー級スーパー王者)氏は冷静に分析して解説されていました。
 私のような素人ではなく、プロの目線で冷静な分析をされていました。

人生の最終ラウンドを戦う高齢者

 さて、わたしたちの仕事、介護に置き換えて考えてみましょう。

 わたしたちは、まさに人生の最終ラウンドともいえる高齢者に対して介護を提供しています。
 わたしたちは、人生最終ラウンドともいえる高齢者の真の思いを理解できているでしょうか?理解しようとしているでしょうか?
 簡単なフェイスシートで、利用者の80・90年の人生を理解できるでしょうか?理解しようとしているでしょうか?

 人生最終ラウンド、立ち上がりたくても立ち上がれない方に対して「最後だからがんばれ!最後だから立ち上がれ!」なんて勝手なことを思っていないでしょうか?

 それでは、ボクシング素人の私が感情に任せてものを言っているのと何も変わりません。

介護のプロとして

 わたしたちは介護のプロとして、大みそかのタイトルマッチの解説者、内藤大助氏、内山高志氏のように、どこまでもプロの視線で、どこまでも利用者のことを冷静に見続けなければならないのです。