介護を『綺麗な牢屋』なんて言われなくするために
昨日のブログの中で、『介護サービスは、自ら望んでいないことに対してお金を払ってサービスを受ける』『介護サービスを自ら望んで受けたいという人はほとんど居ない』というような内容を書きました。
今日は、その事について掘り下げていきたいと思います。なんだか「牢屋シリーズ」みたいになってしまいますが・・・。
NHKは受信料泥棒か?
今日の私のツイートの中で、こんなツイートをしました。
例えば、NHKを観ることを望んでいない人にとっては、NHKは受信料泥棒でしょう。
— はじめちゃん (@hajimechan2001) June 27, 2020
僕はNHKを観ますし受信料も払っていますけど、コロナの影響で再放送ばかりしていると受信料泥棒と思えます。
介護サービスのことを『綺麗な牢屋』などと言っても許されるのは、サービスを受ける側だけなのだと思います
NHKの受信料は、NHKを受信できる装置、つまりテレビなどを持っていたら、NHKを観ようが観まいが、観たかろうが観たくなかろうが払わなければなりません。と、放送法で決められているようです。(間違っていたらごめんなさい)
私は、NHKを観ますし受信料も払っていますが、昨今コロナの影響で再放送が増えている様子を見ていると、「受信料泥棒」だと思えてしまいます。
ましてや、テレビは持っていてもNHKを観ない人や見たくない人にとっては、NHKの受信料を払うということは「受信料泥棒」としか思えないでしょう。
だからなんとかという政党が議席を獲得したりするのだと思います。
NHKを例にしましたが、NHKは望まない人にとっては泥棒同然なのだと思います。
それと同じように介護サービスなども、介護を望んでもいないのに受けなければならない人にとっては、誰かが言ったように『綺麗な牢屋』なのかもしれません。
私たちは望まないことに結構なお金を払っている
NHKをひとつの例にしましたが、私たちは望んでいないことや欲しくもないことに結構たくさんのお金を払っています。
例えば、税金、社会保険料、生命保険、医療保険、車検、自動車保険、学校の授業料、町内会費・・・などなどがあります。
また、税金の中には、所得税・相続税・贈与税・消費税・酒税・たばこ税・自動車重量税・住民税・固定資産税・自動車税・・・などがあります。
いろいろ理不尽を感じますが、上記の中で最も私が理不尽を感じるのは自動車保険です。自動車保険の中でも自賠責保険に理不尽を感じています。
自身で任意保険に加入しているのに、なぜ自賠責保険に強制的に加入させられなければならないのか?疑問でしかありません。
任意保険に加入している人は、自賠責保険は免除するべきだと思っています。
本題からずれ始めていますが、少し考えただけでも理不尽とも思えるようなものに結構なお金を払っています。
上記の社会保険の中のひとつに介護保険があります。
人はそもそも、介護を受けたいなどと自ら思ってはいないはずです。
できることなら介護なんて受けたくないと思っているはずです。
だからNKHを「受信料泥棒」と思うように、介護サービスを『綺麗な牢屋』などと言う人が出て来たりするのだと思います。そう言われても不思議ではありません。
介護サービスを買う時の心理(購入心理)
では、介護をそのように言われないようにするためには、どうしたら良いでしょうか?
そのためには、介護が欲しいもの、受けたいものにならなければなりません。
人が物やサービスを買う時は、どんな気持ちで買っているのでしょうか?どんな購入心理を持っているのでしょうか?
人が物やサービスを買う時は、それを「欲しい」か、それが「必要」だからではないでしょうか。
例えば、私は今日、ラーメンを食べに行きました。
ラーメンが食べたい「欲しい」からラーメンにお金を払って食べました。
また、私は今日、車にガソリンを入れました。
ガソリンが「欲しい」から車にガソリンを入れたのではありません。
ガソリンが無いと車が動かないから、ガソリンが「必要」だからガソリンにお金を払って車にガソリンを入れたのです。
介護は「必要」だから受ける
介護に置き換えて考えてみましょう。
介護の場合は、介護を受けたい「欲しい」と思う人はまず居ません。
介護を受けないと、自らの力だけでは暮らせなくなった、介護が「必要」だから介護を受けるのだと思います。
自分の力だけでは暮らせない「不安」から介護が「必要」になるのだと思います。
「不安」という心理から介護を「必要」として介護サービスを受けるのだと思います。
介護職がすること「不安の解消」から「安心」へ
だったら私たち介護職がやらなければならないことは何でしょうか?
「不安の解消」に尽きるのではないでしょうか。
介護が必要となった高齢者の不安を解消することができれば、不安を解消し、「安心」とすることができれば、『綺麗な牢屋』なんてことを言われなくて済むのではないでしょうか。
言うは簡単ですが、難しいですね。