介護は底辺で結構だ!
ツイッターのタイムライン「底辺」で賑わう
昨日、ツイッターのタイムラインで、たくさん「底辺」というワードを見ました。
ある方の『介護施設で勤めているということを人には言いたくない。底辺にいる人になった感じがしてしまう。』といった内容のツイートに対する反応で、タイムラインがにぎわったのです。
個人が介護に対してどのような価値を持とうが、自由だと思います。
元のツイートをされた方がどんな価値を持とうが自由です。
私はというと、タイトルのとおり「介護は底辺で結構だ!」と思っています。
その心を、こんなツイートにしました。
『介護は底辺』に対する反応。
— はじめちゃん (@hajimechan2001) May 17, 2020
私は、「介護は底辺」で結構だと思っている。
なぜなら、我々がこの国の超高齢社会を支えているのだから。
問題なのは、その底辺が小さいこと。
例えば夜勤者は、一人で何十人もの高齢者を支えている。
人員的にも、投入される費用的にも拡大されなければならない。
「底辺が小さいこと」が問題
このことを説明するために、この国の人口構造なんて改めて説明する必要もありませんし、資料など出す必要もないでしょう。
我々介護職は、この国の超高齢社会を「底辺」で支えているのです。
底辺とは、たいていの場合広く大きいものです。
ところがこの国の人口構造は、いわゆる逆ピラミッド状態。少ない人数で多くの高齢者を支えているのです。
この国の問題は底辺が小さいこと。
介護の問題も底辺が小さいことなのです。
例えば老人ホームの夜勤者は、夜間一人で何十人もの高齢者を支えています。
この国「超高齢化」という重たい問題を支えるには、あまりにも少ない人員で支えているのです。
介護職一人あたりにかかるその重さの負担は、相当なものなのです。
そうした環境の中で私たち介護職は、この国の超高齢化を支えているのです。
生活水準が低いという意味では否定します
「介護は底辺」の意味が、「介護職の生活水準は最低」という意味でしたら、私個人的には否定いたします。
中には、最低水準の生活をされている方、そう思っている方もいらっしゃるかとは思います。
だけど私個人的には、自分の暮らしが最低水準とは思いません。
給与水準が高いわけではないけれども、暮らしが豊かではないとは思いません。
裕福ではないけれど、不幸ではありませんし、それなりに豊かには暮らせています。
今の収入で満足しているわけではありません。
もっともっと増やせるように努力をしていきます。
そういう努力をしながら、豊かに楽しく暮らすことができています。
この国の超高齢化問題を底辺で支えながら、今日も楽しく、面白く暮らしていくのです。
介護は底辺で結構!介護は底辺上等!
ただの言葉遊びだと言われたらそれまででです・・・。